初音ミク総研

初級者のための解説や曲・DVDの紹介他。視聴専門だよ。

「東京五輪開会式で初音ミクは歌うべきでない」と考える2つの理由

ロンドン五輪が開催される少し前に、

開会セレモニーのオープニング歌手を(勝手に)選ぶ投票で、

初音ミクが暫定首位になったことは、

ミクフアンを大いに勇気付けた。

www.j-cast.com

 

特に痛快だったのは、この票の多くが、

日本人ではなく、海外のフアンによるものだったということ。

この投票で選ばれたとしても、実際のオープニング歌手になれるわけではない。

だが、海外にもミクフアンが少なからず存在し、

半ば冗談とはいえ、世界的イベントの歌い手として熱烈に投票してくれたことは、

日本のフアンにとって、勇気付けられる話だった。

 

当時は「さすがにロンドン五輪は英国人歌手でしょ」という意見もあったが、

そうなると「東京五輪は日本だからいいんじゃね?」という論法になる。

こうして「初音ミク東京五輪歌手待望論」がでてくるわけだ。

 

ちょっと前に、こんな記事が出た。

www.excite.co.jp

記事を一言で要約すると、東京五輪のオープニング歌手として、

「8割以上が、初音ミクはふさわしくない」

と考えているというアンケート結果だ。

ちなみに賛成は15%弱である。

 

賛成は、反対派のコメントも列挙してあるが、だいたい、想像通りだ。

ざっくり言うと、

 

【賛成】

・世界的に知名度があり、有名。

・日本の技術や、クールジャパン(文化)の象徴。

 

【反対】

・恥かしい。

・スポーツ(人)の祭典に、人以外が歌うことはふさわしくない。

 

こんなところか。

 

さて、ブログ主の意見はというと、

初音ミク東京五輪の開会式で歌うことには、反対である。

それは、スポーツの祭典がどうとか、はずかしいとか、

そういう理由からではない。

 

理由その1。

初音ミク東京五輪の開会式で歌うメリットより、デメリットが大きいから。

デメリットとは何か。

端的に言うと、「反発」だ。

 

先に引用したロンドン五輪の記事からは、

K−POPグループが上位にランクインし、炎上していたことがわかる。

ようは、多くの人が「まあいいんじゃない?」と納得できる歌手ではなかったのだ。

万人の一致を得ることは難しいにしても、

そこそこ納得できる歌手を選ばないと、むしろ逆風の方が強くなる。

そんな逆風の中に、我々は初音ミクを立たせたいのか。

 

オープニング歌手として登場し、

これまで初音ミクをあまり知らなかった人がフアンになる、ということもあるだろう。

だが、その逆も十分に考えられる。

むしろ、否定的な反応の方が多いであろうことは、

フアンであれば想像できるのではないか。

今まで、初音ミクについて「いい」とも「悪い」とも思わなかった人の多くが、

アンチ初音ミクとなる可能性は否定できない。

そこに目をつむり、「世界的イベントで歌わせることで天下を取らせたい」と思うのは、奇跡の少女を死地に赴かせるのに等しいと考える。

日本の技術やクールジャパンを広めるのは、他の誰かにやってもらえばいい。

そんな「どうでもいい」理由で、初音ミクを危険にさらすことはない。

 

理由その2。

そもそも、五輪で歌うことが、どれほどのステータスなのか。

いや、ブログ主もかつては、そこに一つの夢を見ていた。

 

紅白に出て欲しい。

五輪の開会式で歌って欲しい。

 

数年前はそんなことも思っていた。

だが、なぜそんなことを思っていたのかを考えていくと、

どうも、浅はかな根拠が浮かび上がってきた。

ようは、天下を取りたいのだ。

 

日本では一流の歌手しか紅白に出場できない。

だから初音ミクに紅白に出て欲しい。

五輪は世界が注目するイベントだ、

だから初音ミクに五輪で歌って欲しい。

 

歌手として頂点を極めて欲しい、その姿を見たい。

そんな「てっぺん願望」のようなものが、これらの夢の根底にある。

 

でも、よく考えると、この考え方は非常に「古い」。

「いい大学に入って、一流の会社に入れりなさい」

くらい、古い。

田園調布に住んだら勝ち」

みたいな、ある意味、高度経済成長期の、昭和的価値観だ。

 

初音ミクは21世紀の申し子である。

20世紀の価値観をそこにあてはめるのは、健全なのだろうか。

 

紅白に呼ばれた。

CDが何枚売れた。

ランキングで1位になった。

納税番付に名を連ねた。

五輪のオープニングを飾った。

 

そんな土俵に初音ミクを乗せようとするのは、

20世紀的な価値観でしかミクを推し量れない証拠ではないだろうか。

 

初音ミクはいま、インターネットを通して、世界中に愛されている。

神曲も、下手な曲も、全部歌い、踊り、頑張っている。

歌と音楽を民主化した、電子の歌姫なのだ。

誰かと競うわけでもなく、みんなを幸せにする。

それこそ21世紀が目指すべき姿なのではないだろうか。

そして初音ミクは、すでにそこに到達しているのではないか。

それを今更、「他を制圧しててっぺん取りたい」みたいな、

昭和的価値観に戻り、目指す必要はあるのか。

 

ブログ主は、ない、と考える。

 

 

私が初音ミクを聴き始めたのは、ここ3〜4年の話だ。

それ以前は、「存在」は知っていたが、興味がなかった。

もしその当時に、誰かに無理やり聞かされていたり、

テレビのCMで初音ミクがゴリ押しされていたら、

「なんだかうざいなあ」と思ったことだろう。

 

出会い方は、大事だ。

ご縁があれば、いつか、勝手に出会うものだ。

それまでは、焦らないほうがいい。

 

少なくとも、現状で東京五輪初音ミクを歌わせるような強硬手段は、

フアンにとっても、そうじゃない人にとっても、

初音ミク自身にとっても、幸せな結果にはならないだろう。